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学術会議の誕生と病根⑤科学の論理と政治の論理【資料・赤い巨塔(1970年) 】

資料データ
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科学の論理と政治の論理

以上、述べて来たことを一応ここで総括しておきたい。

㈠日本学術会議は占領軍のいわゆる民主化政策の一環として創設されたものであるが、わが国の科学者の内外に対する代表機関であり、しかも科学に関する重要事項を審議し、政府の諮問に答申し、または独自の立場で政府に対し勧告することの出来る、いわば科学行政に関する最高権威機関であること。同時に、他の行政機関と異なって、会員は任命制ではなく、有権者の選挙によって決められることになっており、この点、世界でも例のない民主的な組織となっているけれども、発足以来、このなじまないシステムが、多かれ少なかれ、学者ならびに科学行政に混乱を招来したこと。

㈡これより先、日本共産党は科学者の人民戦線として民科の指導権を握り、戦後の科学運動のさきがけとなったが、それは科学における敗北の反省と祖国再建を実現する運動ではなくして、科学を革命のための手段として認識し実践する運動であったこと。しかも、一九五〇年代の世界的なソ連平和攻勢に果した科学運動の一翼としての意味も持っており、それらが反米・反体制的体質を形成したこと。

㈢右学術会議の民主的な組織を、組織的に利用したのが日本共産党ならびに民科であって、特に十数万の有権者が全国各地の大学や研究所に散在している関係上、統一的に働きかけうるのは中央、地方を一貫する統一的組織でなければならず、この点、共産党にとって、学術会議はきわめて利用しやすい組織であること。

等である。

第一期学術会議会員選挙については、すでに述べた。が、日本共産党が本格的にこの選挙に取組んだのは、講話後初の昭和二十八年十二月の第三期会員選挙であった。

この選挙において共産党は「学術会議選挙闘争の目的は軍国主義復活反対闘争の重要な一環である」との観点に立ち、全党をあげて広範な統一戦線の立場から選挙闘争を展開し、さらに民科を中心にして日教組、新日本医師協会などの左翼諸団体によって、学術会議選挙の推進運動のため結成された「日本学術会議選挙民主団体協議会」(三十年二月「学術を守る会」に発展解消)の推薦候補七百十八名を全面的に後援した。その結果、民科委員二十四名を含む五十三名の、いわゆる進歩的科学者を学術会議に送り込んだ。

さらに三十一年十二月の第四期会員選挙に際しては、日本共産党は三十一年五月以来、有権者の登録等の準備活動を進め「日本の科学の進歩のために広範な統一戦線が打ち立てられることを第一に考え、党は独自に援助すべきものは援助する」との方針を示し、学術会議選挙を通じての統一戦線工作の意図を明確にしたのである。

注目すべきことは、この選挙において、共産党は初めて候補者の推薦方法にまで論及し、たとえば民科の名で推薦する各大学教官細胞を通じて、所属大学教授会および所属学界の推薦が得られるよう積極的に裏面運動を行なう、等の具体的方法さえ示唆したのである。この結果、日本共産党は支援候補二十九名中二十五名(当選率八六%)、民科は推薦候補五十一名中四十三名の当選者(当選率八四%)を出した。この選挙戦術は今日でも変わらない。

いずれにせよ、日本共産党は学術会議を「科学者の意思を結集することによって、政府の科学技術政策に対抗し、科学研究の自由と進歩の保障をつくり出すことが出来る左翼的科学者の活動の重要な場所である」とその存在意義を重視しており、反政府科学技術闘争、いわゆる進歩的科学運動の場としたのである。

ところで、左翼科学運動の重鎮・坂田昌一教授は、学術会議創設二十周年に当って次のような文章を発表している。

「(日本学術会議は)戦前の『学術研究会議』が政府の勝手にえらんだいわば御用学者により構成され、ときの政府の意のままに動きうる体制をとっていたのとは、きわだって対蹠的な組織である。学問が政治から独立し、『科学の論理』を『政治の論理』の対等な立場にたって対決させ、前者が後者を動かしうる体制がここに確立されたのであった」〔注1〕

「科学の論理と政治の論理」と第されるこの一文の要旨は、右のようなもので、何が「論理」だか少しもわからない文章だが〔注2〕、要するに学術会議発足以来の科学と政治を対等に対決させる伝統と、科学時代といわれる今日、ことさら政治の論理(政治家、行政官、起業家の論理)より科学の論理を優先させねば「国家百年の計を誤る」というのである。

確かに新しい時代に、特に高度工業化社会から脱工業化社会に向うといわれる時代に、科学と政治が対等に対決﹅﹅することも必要なことではあろう。しかし、それは「対等に対決する」よりは「正当に影響しあう」ことのほうがより重大なのではないだろうか。それを言わないで科学の優先のみ説く坂田教授の主張は、一般的にいっても、政治をすべてに優先させた戦前・戦中の科学行政と同様にそれこそ「国家百年の計」を誤るものであろう。

もっとも、日本学術会議が反政府科学者組織の城塞と化しているとすれば、戦術論としての科学優先の主張は当然である。それは、前述の、日本共産党の学術会議重視政策と同じく「政治の科学技術政策と対決﹅﹅する」という、きわめて「政治」的な動機を持つものだからである。つまり、政治と科学が対決するのではなくして、政府の科学政策に左翼の科学者が対決を求めるということなのである。それには、日本学術会議が、どのような左翼組織によって、また、どのような人びとによって、どのように運営され、そしてどのような実績を示しているかを検討すれば、おのずから分明するであろう。

 

〔注1〕坂田「科学の論理と政治の論理」(『朝日』四三・四・八)
〔注2〕羽仁五郎「都市の論理」はおそろしく非論理的な本として定評があるが「都市の論理」にも竹谷三男氏らが討論に参加いているように、左翼理論物理学者グループにかなりの影響力を持っていることに注目すべきであろう

―「学者の国会」日本学術会議の内幕 時事問題研究所編,1970年より)

 

 

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