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「学者の国会」を牛耳る日共科学技術部①日共が狙うもの【資料・赤い巨塔(1970年) 】

資料データ
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日共が狙うもの

民科はなやかなりし頃、日本共産党は旧講座派的科学、技術テーゼによって民科に君臨していた。これは前述した。その後、代々木が極左冒険主義、六全協自己批判、内部抗争を試行錯誤を重ね〔注1〕、今日の宮本体制、いわゆる自主独立路線に到達するのだが、それに伴ない、科学、技術政策も次第に形を整えていった。ほぼ定着したのは、昭和三十九年十一月の第九回党大会の時点である。やや抽象的であるが、その主要部分を抜き書きする。

㈠原子力をはじめ、すべての科学、技術を米日反動の利益に奉仕させ、軍事的侵略目的に利用することに反対する。平和目的のための自主的、民主的研究の確立と、人民の福祉と安全を保障する。原子力の平和利用と自主、民主、公開の三原則の厳守。

㈡日米科学合同委員会、日米教育文化合同委員会を廃止し、従属的で不平等な学術研究、文化協定を廃棄する。アメリカのひもつき「研究センター」に反対し、社会主義国をはじめすべての国との自由な学術文化の交流をはかる。

㈢米日独占資本による科学技術、大学、研究機関への介入と支配に反対する。科学技術の平和的民主的発展のための国家予算の大幅増額と、大学、国立研究施設の増設、充実、さらにその配分と運営の民主化。私学に対してひものつかない国際補助を増額し、科学者、技術者の生活、研究条件の大幅な改善、研究活動の自由、研究成果の公表を保障する。

㈣大学管理制度の改悪と学術の官僚統制に反対し、大学の自治と学問、思想の自由を守る。

㈤学術の官僚統制の中枢である科学技術会議を廃止し、日本学術会議の民主的強化と権限の拡大をはかる。

以上、日本共産党の綱領どおり「二つの敵」(アメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本の独占資本)を設定した公式敵な政策で、戦後の科学、技術テーゼよりは具体的だが、それでも網羅的な感はまぬがれない。それは共産党が「政治の論理」で対決をすることは知っていても、真に「科学と技術」の論理で政府や巨大産業と対決する能力がないからかもしれない。

それはさて㈤が日本共産党の科学技術政策の基調をなすものであろう。結論を先にいえば、科学技術会議の設置=科学の官僚統制、日米科学研究=軍事研究と、きわめて図式的な思考様式をもっており、その発想もいわば被害者意識を前提している。すなわち、このままでは科学、技術の分野でも「二つの敵」の政策に圧倒されてしまうという考えである。従ってその姿勢は、被害者意識の裏返しとして、必然的に、政府の科学行政に対する責任転嫁、ないし対決の姿勢をとることになり、具体的には日本学術会議の権限拡大を唱えるということになる。この共産党の科学・技術政策の元締めが党「科学技術部」である。

科学技術部が新設されたのは昭和四十四年六月、それまでは学術会議対策をはじめ、すべて科学、技術の分野に属する仕事は「文化部」が担当し、そこで諸政策を企画立案していた。それが分離、新設された趣旨について、党の公式的見解は発表されていないが、巨大科学(ビッグ・サイエンス)の出現および、それから派生した産学協同、日米科学協力等、学術体制上の問題や、これまで弱かった科学技術をめぐる諸情勢の変化に対応するためと見てよかろう。部長、井田誠氏。このひとは愛知県委員長の要職にあるため、党内きっての科学通といわれる副部長、浅見善吉氏〔注2〕がとりしきっているという。

その浅見氏が、学術会議について書いている。

「現在では政府がどのように学術会議を無視しようにも、学術会議を抜きにして日本の科学行政は考えられないところまで来ている。」〔注3〕

政府がどのように学術会議を無視しようにも云々は、最近、学術会議の前述したような独善的横車や異常放射能事件で、政府が学術会議の左偏向に警戒の目を向け、諮問も毎年一件に減っている〔注4〕ことを指したものであろう。また、学術会議ぬきで科学行政が考えられないかいなか、その評価の当否は別にしても、少なくとも日本共産党が、各級議会のほかに、自己の政策を合法的に政府の施策に反映させうる唯一の場を学術会議に求めて、これを重視しているということは言えるとおもう。

だから、学術会議対策は、共産党科学技術部の重要な任務になっていて、この部の指示で総会のたびに召集される学術会議内の党員会議、ないしはグループ会議に提案される議題の内容は、前もって同部で基本的な指導が行なわれているようである。

とかく、学術会議に左偏向ありと指摘すると、それが偏見であり色眼鏡であるとする向きも多い。けれども、そうした議論は実は、左翼科学運動の実態とか、共産党のこのような指導の実態について全く知らないか、もしくは知っていて、しいて目をつぶっているひとの議論と言わざるをえないのである。あえて指摘しておく。

ところで、なにゆえ日本共産党は、科学技術政策の重要な基調に学術会議対策をおくのか。また長期的には何をめざしているのか。

端的にいえば共産党は、学術会議を戦後の一時期と同様に、わが国の科学、技術開発の中核体として位置づけておきたいのである。学術会議が当初の期待どおり正当に機能していれば、一般論としてそれが正しいだろう。しかし、そうでないところに問題があるわけであって、そうでなくしたのは、実は日本共産党はじめ左翼科学者であること、繰返し述べてきたとおりである。にもかかわらず、共産党はさらに学術会議を「民主化」するために、学術会議を強力にバック・アップするといっている。このことは何を意味するのか。

一言でいえば、すでに旧民科系学者の主導権下にほぼ入った学術会議という公的機関を、さらにテコ入れすることによって、共産党は、一つは学術会議という合法的機関を通じて科学行政に介入し、これを撹乱する。さらにもう一つは、学術会議を中核にして学会、協会、大学等の学術、研究機関への影響力を持続しつつ、ひいては科学者統一戦線を結成しようと意図しているのである。

その証拠が、昭和四十三年十一月に行なわれた学術会議第八期会員選挙への日本共産党の取組み方である。

共産党はこの選挙が行なわれる一年前、すなわち四十二年十一月十五日の「赤旗」に「日本学術会議有権者資格の基準とその取り方」と題する記事を掲載し、一人でも多くの「民主的な科学者」を学術会議に送り込むために、選挙資格を取るように次のように呼びかけた。

「日本学術会議は来年十一月に改選されますが、この選挙は日本学術会議の有権者資格〔注5〕をもつ人に限っています。ところが一般には、この資格と資格審査について十分知られていないため、かなりの人が選挙権を放棄しています。……日本学術会議に一人でも多くの民主的な科学者を送るため資格があると思われる人は、進んで登録用カードを取りよせ審査を受けることが強く望まれます」

周到な準備というべきであろう。共産党の組織は代々木の中央、その下部組織として都道府県委員会、さらにその下に地区委員会があり、その地区委員会の指導下に各大学、研究室等の職場細胞がある。選挙をやるには便利なタテ割り組織である。その上、文学、政治、法律、物理学等の学会に所属する学者、技術者の党員が多数いて、それらが党の指導の下に党員またはシンパを候補者に推薦し、選挙するのだから、組織を持たないリベラルな候補者を圧倒するのは容易であろう。

その結果、この第八期会員選挙には左翼系学者八十九名が立候補し、そのうち七十四名が当選している。全会員に占める左翼系の割合は三五・二%(前回二七・五%)と、選挙をするたびにその勢力は増えてゆくのである。このようにして選挙されてきた党員会員は、党命令に関してはきわめて忠実であり、ひとたび党の利害に関係する事件でも起れば、また政府の科学行政を批判することにでもなれば、固い結束をして外部に当るといわれている。要するに、最も忠実な共産党員なのである。

一方、党自身も平素は露骨な政治指導やイデオロギーの押しつけは極力慎み、科学研究費補助金問題(後述)や、科学者の待遇改善問題等、科学者の日常的な諸要求に結びついた問題をタイムリーに取りあげることによって、それらの問題を安保体制と深いかかわりがあるがごとく印象づけ、日米安保条約が廃棄されないかぎり、右のような不合理性は解決されないと、ことあるごとに説得する。「あらゆる民主団体の統一戦線」〔注6〕を提唱する日本共産党の、きわめて「政治的な論理」による学術会議対策なのである。が、失礼な言い方だが、学術会議内でいわれるノンポリ会員には「専門馬鹿」的人物もいて、やっかいなことに学問を本来「反権力的なもの」と認識し、しばしばこれらの主張に同調することもあり、また後述する科学研究費配分のわけまえをもらうべく左翼勢力に接近することもある。学術会議の反政府的、反体制的傾向に拍車をかけていることは、真に憂うべきことであろう。

 

〔注1〕日本共産党は野坂参三氏の占領下での平和革命という理論が、二十五年一月、コミンフォルムの手きびしい批判にあい、二十六年十月、いわゆる「五一年テーゼ」によって極左冒険主義へ突入した。民科を中心とする多くの科学者、技術者もこの方針に沿って非公然活動に入ったが、三十年七月の第六回全国協議会(六全協)で自己批判し、戦術上の誤りを認めた。以来、共産党の「前衛無謬説」は、全学連はじめ武装闘争で青春を空費した世代のきびしい反感を買い、今日の左翼陣営多極化の一つの因を作った。民科においても「若い党員のうちには従来の『ひきまわし』になれ、それが党の正しいやり方だと思っていたものが多く、それは民科のばあいでも同じであった。彼らはこの転機にあたって、党からつきはなされたように自己の学問的未熟を反省して、自らの脚の上に科学をうち建てることの必要を痛感した。しかし、このような反省にさいして、民科の従来の組織と活動とは、もはやこれらの人びとの転換にとっては役立たなくなり、彼らの非常に多くのものは、われ勝ちに民科をはなれ、さらに党まで離れて学校と研究室にのがれたのである。その結果民科の活動もまた一年来、急速に衰え、その機関誌もついに発行を停止せざるを得ないまでになった。」(立花貞雄『前衛』三一・十一)
〔注2〕四十一年十二月~一月「ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会」の七名の現地調査団の一人となった。同調査団は米国を「ナチにも劣らぬ犯罪行為」ときめつけたが、浅見氏は二月六日の「帰国報告集会」(国労会館)で使用兵器の性格について報告している
〔注3〕浅見「日本学術会議の二十年から」(『文化評論』四三・七)
〔注4〕「年に一回」というのは実は慣例的な科学研究費配分(後述)を指すのだが、実際はゼロである。なお学術会議発足以来の勧告件数は一二三件(うち研究所、研究センター等、いわば行政に直接かかわりのあるもの四三件)で、実現したものはこのうちわずか二二件である。逆にいえば一〇一件は学術会議が言わずもがなのことを勧告したことにもなる。
〔注5〕学術会議法第十七条により会員の選挙権、被選挙権は①科学者であって、新制大学(短大を除く)または旧制大学卒業後二年、②短大、高専、旧制専門学校、教員養成学校、これらと同等の学校、養成所卒業後四年以上、③その他研究歴五年以上のものとなっている。
〔注6〕日本共産党の統一戦線論は、戦後一環して提唱されているが、特に十党大会以来その重要性が強調されて来た。最近の統一戦線論は単なる社・共統一戦線志向ではなく、あらゆる民主団体、および個人の統一が呼びかけられている。いわゆる七〇年闘争に向けて特にその必要が要求されている。

 

―「学者の国会」日本学術会議の内幕 時事問題研究所編,1970年より)

 

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