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【オピニオン】南京陥落から83年、いまだに中共プロパガンダに騙され続ける日本人

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今も続けられるプロパガンダと情報工作

日本軍の南京占領から83年めとなる令和2年(西暦2020年)12月13日、日本のマスコミ(TVや新聞社のWebサイト)には相変わらず「南京事件」「南京虐殺」あるいは「南京大虐殺」と言った、中国共産党のプロパガンダ用語が見出しに並んでいた。そして、中国共産党が行なっている「追悼式典」の様子を報道し、今も日本人への刷り込みを続けている。

中国 「南京事件」追悼式典 指導部高官が日中関係改善推進示す
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南京事件83年、追悼式典に習氏欠席 対日関係に配慮か:朝日新聞デジタル
 日中戦争のさなかに起きた、旧日本軍による南京事件から83年となる13日、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で、犠牲者の追悼式典が開かれた。2018、19年に続き、今年も習近平(シーチンピン)国家…

当時の日本人の目から見た、南京での出来事

昭和12年(西暦1937年)、支那事変の中、上海戦の戦線が拡大して発生したのが「南京戦」(1937年12月4日 – 12月13日)である。以下Wikipediaの冒頭より引用する。

南京戦(ナンキンせん、中国語: 南京保卫战、英語:Battle of Nanking)は、日中戦争(支那事変)における戦闘の1つで、1937年(昭和12年)8月以降の上海戦の戦線が拡大し、12月に中華民国の首都南京で展開した。日本軍は中国軍を追撃し、南京を陥落させた。日本軍からは南京攻略戦。中国側からみて上海戦と南京戦を併せて上海南京保衛戰とする研究もある。

(出典:Wikipedia「南京戦」)

南京戦

その時、日本軍は何を目的として、何と戦っていたのか、当時の新聞(再編集された集成版ではあるが)から、南京戦真っ只中の紙面の様子を、ほんのわずかではあるが紹介する。

昭和12年12月8日付 朝日新聞(東京)

【見出し】
蒋介石・ついに都落ち
燃ゆる南京・掠奪横行
敗戦、断末魔の形相

ご存知の方には当たり前のことではあるが、最初に日本軍が戦っていたのは、蒋介石率いる中華民国の中国国民党軍である。が、この年昭和12年の1月頃よりに、それまで対立していた中国国民党と中国共産党は、第二次国共合作により協力関係を築き、同年七月頃「抗日」で全面協力体制を整えた。いつの間にか中国共産党も参戦しての泥沼になっていた。

そんな中で、12月13日の南京城陥落を迎えることになる。
元々が、辛亥革命により清国が崩壊して中華民国が成立したものの、ソ連成立・コミンテルン結成などの影響を受け中国国内に多くの暴力的組織が跳梁跋扈し、数多くの内戦、日本人相手かどうかにかかわらず虐殺事件も多発していた時代である。北京郊外で日本人が大勢惨殺された「通州事件」も同年七月に発生している。指導者を失った無法者の集団がどうなるか、ご想像いただきたい。
(参考:Wikipedia「辛亥革命」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E4%BA%A5%E9%9D%A9%E5%91%BD
(参考2:中国近現代史年表)
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/china/nenpyo.htm

昭和12年12月9日付 毎日新聞(大阪)

【見出し】
山田わか女史
米大統領婦人に説く
『日支問題を考えて欲しい…』と

空気感を感じるために本文を全文現代語にしてみよう。

【ワシントン七日発同盟(※編注:現在の共同通信社・電通の前身である同盟通信社)】
女流評論家山田わか女史は六日ワシントンに到着、七日午前十一時ルーズヴェルト大統領夫人の婦人記者団会見に出席して親しく大統領夫人と面会する機会を得た。山田女史は和服姿で出席、異彩を放ったが、席上女史はコロンビア大学学生・久保とじ子嬢の通訳で次の如く日本女性の希望を伝達した。
『日支両国目下の紛争には理由があることだが日本人は支那を憎み支那の侵略を企図しているものではない。文化を同じくする両国は共同の目的と提携をこそ欲しているもので、日本は寧ろ支那のためをはかっているものである、われわれは両国が円満な関係に立ちかえることを希望してやまない、大統領夫人はじめ米国婦人もわれわれと同じく人の子の母として、共同の問題を十分考えて戴きたい。』
これに対し大統領夫人も同感の意を表した、山田女史はさらに同席のアメリカ婦人記者三十余名にも種々懇談を遂げた。【写真は山田女史】

最近、ネット上で見かけ(どこのどんな記事だったのか、明確に覚えておらずここに出典を記せないのが申し訳ない)記憶に残ったのが「当時の日本は、今で言うPKOのために中国に行った」というニュアンスの記事である。私自身がその時代に生きていた訳ではないが、当時の新聞紙面を数ヵ月分見て感じたのは、まさにこの「PKO」という言葉であった。そして、南京城の内外では戦闘は当然行なっていたが、日本軍による市民を巻き込んだ無差別な虐殺事件などというものは存在していない。
この記事を読んだ皆さんにも、機会があればぜひ大正~昭和初期、昭和12年当時の新聞縮刷版などで、この時代の空気感を知っていただきたい。

参考

「 中国人の邦人惨殺、通州事件を学べ 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
政治ジャーナリスト、櫻井よしこのオフィシャルサイトです。
“南京大虐殺”の偽名~“南京大虐殺”は死をもたらす情報戦争~
ZF(@ZF_phantom)氏がまとめた、いわゆる
【寄稿】通州事件と慰霊について
寄稿者:憂国Wiki管理人 皆さんは「通州事件(つうしゅうじけん)」をご存知だろうか。 1937(昭和12)年07月...
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