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【オピニオン】<あしかび>終戦五十年目の悲劇と立証された真実 ~謝罪衆議院決議と宣戦の詔書~(平成七年十二月) 大山晋吾氏

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筆者の少年時代、かやうなニュースがテレビで報道された。眼の不自由な少年が同級生に集団で苛められ、川に落とされその上、投石を受けて死んだと。丁度、夕食事であつた。父は「眼の不自由な、弱いモノを如何して苛めるのか」と、箸を置いて暫くの間憤然としてゐた。「何事もなるやうにしかならぬ」とあまり喜怒哀楽の情を見せぬ父故に、その時の情景は二十数年経つた今日もなほ鮮明に我が脳裏に焼きついて離れようとしない。

あれより四半世紀。道義・道徳は更に地に堕ち、今日では国を挙げて謝罪決議を行なひ、戦歿者を侵略者たらしめるまでに至つてゐる。ああ、我等子孫の為に、また公の為に、黙って己が身を捧げられた人々を、今になつて侵略者・犯罪者等と再び鞭打つ事が如何して出来ようか。恩を仇で返すとはこの事である。

眼の不自由な方にも口はあらう、手もあらう。抵抗も出来れば、己を弁護する事も出来る。しかし亡くなつた方々には抵抗も弁護も出来ぬ。それをよいことに、我々自身の祖先や大恩人にも拘らず、「侵略者」「犯罪者」として言はれ無き汚名を如何しておきせ出来よう。まさか、死人に口無しとでも言ふのであらうか。

生きてゐる者の人権が尊ばれるのと同じやうに、まさに亡くなつた方々の名誉を御守りし大切にする事こそ、我等生きる者の務めであらう。オウム真理教は死んだ仲間に全ての罪をきせようとした。人はオウムを悪辣非道としてさげすむ。だが、まさにそれと同等の事をして平然と済ましてゐるのが現代の日本人と言はねばならぬ。

犬畜生ではなし。これで果たして人の道として筋が通るであらうか。祖先の墓石に唾きする者はない。天に向かつて唾きする者もをらぬ。そのやうな事をすれば、必ず神罰・天罰が自らに降りかかつてくる事を知つてゐるからである。だが、その事をすら知らず、それを敢へて行つたのが先の謝罪決議であつた。筆者は別に戦歿者の遺族でもなければ、戦友の子孫でもない。だが、このままでは亡くなつた方々に気の毒で何とも我慢がならぬ。もしも、筆者に息子がゐれば、この我が憤怒の形相を、悠に三十年は記憶し続けるに相違なからう。

さて、論語に「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」とある。ところが、現代の日本では、哀しい事かな、子は父の為に暴き、且つ裁くのである。たとひ、父が侵略を行つたとしても、それを隠すのが子といふものである。さうシナ人自身が教へてくれてゐるのではないか。まして、潔白無実の父、まさに子を守らむとして戦死した父であれば尚更のことである。思ふに、シナ人の場合は、自らを正当化する為に口で日本を侵略国と批難し続けるが、心の中ではこの親不孝者とせせら笑つてゐるに相違ない。

かつて、米国は真珠湾攻撃の遥か以前より支那に軍事物資の援助をし、徒(いたずら)に支那事変を長期化させ、疲弊する日本軍を苦しめ続けた。更に昭和十六年に入つては、❝フライング・タイガース❞の隊員として、日中航空戦の戦士を戦闘機と共に南支に送り込んでゐるのである。これまで米国政府は、彼らをあくまで米国中央飛行機製造会社の社員と主張してきたが、戦後五十年、元社員達の訴へもあり、最近遂に正規の米国軍人であつた事を正式に認めたのであつた。ここに於いて、米国は中立国の立場にありながらその義務を守らず、支那事変解決に苦慮する日本軍を更に窮地に追ひつめようと、支那の背後より軍需物資は言ふに及ばず、戦士、戦闘機まで投入してゐた事が明白になつたのである。

未だに彼の国は、日本の宣戦布告が一時間余遅れた事を問題とし、真珠湾攻撃が騙し打ちであつたと唱へ、日本側に非ありと原爆投下まで正当化しようとする。だが、実に米国は、真珠湾攻撃の数か月前より既に日本に宣告なき攻撃を開始してゐたのであつて、我が国の宣戦布告が少々遅れようが何等の問題なく、また原爆投下を正当化する彼の言分もここに崩れ去る他にないのである。否、原爆投下は非戦闘員の無差別大量虐殺であり、国際法といふ戦争のルール自体の違反であつて論外であらう。

或は、東京裁判史観に浸り切つた左翼諸氏は言ふかも知れぬ。宣戦布告以前の日本は「戦争」状態にはなかつた、あれはあくまでも「事変」であり、「戦争」ではないのであるから、中立国の米国がどのやうな援助をしようとも必ずしも責められぬと。では問おう。GHQが設置し準備した東京裁判は、宣戦布告以前の支那事変も満州事変も共に共同謀議による侵略とし、「戦争行為」として裁判の管轄権内に入れて裁いてゐるではないか。これは如何なる事か。支那事変が「戦争」でないと言ふのなら、東京裁判の管轄権越権の不当性を認めよ。しからずして、支那事変を「戦争」と言ふならば、中立義務不履行といふ米国の国家的犯罪を認めよ、と言はねばならぬ。

さて、昭和天皇は「洵ニ巳ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」(※編注:まことにやむを得ざるものあり。あに朕(ちん)がこころざしならんや、開戦の詔書)とあくまで平和を念願され続けた。「対米交渉ノ見込ミ無キ場合ハ直チニ対米開戦ヲ行フ」旨決定した、九月六日の御前会議に於ても、陛下は『よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ』と詠み上げられ、あくまでも平和への道を願はれた。

しかるに、米国は英・支・蘭と共同して所謂ABCD包囲網をしき、我が国に対し過酷な経済制裁を行なひ、軍需資材は勿論の事、生活物資まで禁輸とし、果ては昭和十六年七月日本人の在米資産までも凍結して仕舞つた。しかのみならず、米国は十一月二十五日の戦争会議で如何にして日本に最初の第一弾を発砲させるかといふ協議をし、翌二十六日には米国海軍少将シーボルトをして「日本の面に籠手(こて)を投げつけた挑発であつた」と言はしめるやうなハルノートを我が国に突き付けてゐる。

まさに「朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ亳モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス」とある通りであり、我が国は自衛上已むを得ず、第二次世界大戦の渦の中に巻き込まれて行つたのであつた。フライング・タイガースの隊員が正規の米国軍人であつたといふ新事実は、右詔書の開戦理由を痛快に実証するものと言へよう。

【大山晋吾氏、月刊『不二』(不二歌道会)平成七年十二月号】(当記事は著者・大山晋吾先生より許可をいただき掲載しております)

 

 

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