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【オピニオン】<あしかび>女神の微笑み ~桜咲く宮に英米首脳らの告白を捧ぐ~(平成八年四月) 大山晋吾氏

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チャーチルの謀略

私は父の寝室に入つた。父は洗面台の前に立つてゐて、旧式のヴアレット剃刀で髭を剃つてゐた。父は髭が濃かつたので、何時ものとほり逆剃りをしてゐた。「おい、座れよ。髭剃りを済ませるまでに書類を読んでくれ」。父はニ、三分逆剃りをしてから、半分身体を私のほうに向けて「うまくいきさうだよ」と言つた。

私はびつくりして言つた。「敗北を免れてあの野郎どもをやつつけられると云ふ事ですか」父はヴアレット剃刀をを洗面台に投げ込んでぐるつと向き直つた。「勿論、あいつらをやつつけられると云ふ事さ」私は応へた。「ああ、そりやあ僕も賛成ですが、どんな方法でやるんですか」父はタオルで顔を拭き終はつて、私の顔をじつと見た。「アメリカを引きずり込むのだ」<『ランドルフ・チャーチルの回想』一九四〇(昭和十五年)五月十八日条>

これ、英国ウインストン・チャーチル首相父子の会話である。一九四〇(昭和十五)年独逸は飛ぶ鳥をも落とす勢ひで周辺諸国に進軍し、同五月英仏両軍はダンケルクで敗退、チャーチルはこの劣勢を挽回するために、右の如く米国を味方につけて参戦させようとしたのであつた。だが、その後も独逸は六月パリに入城、七月には全欧州大陸を席巻して、英国に空襲を始めてゐる。

大西洋会談に於ける密約

チャーチルは窮地に立たされたが、一九四一(昭和十六)年八月米国ルーズベルト大統領との大西洋会談に於いて日米開戦の公算を得、欧州戦に於いても米国の参戦による英国の最終的な勝利を確信し、不安が幾分軽くなつた旨、翌年一月二十七日英国下院の演説で述べてゐる。してみれば、英・米は、実に大西洋会談の行はれた昭和十六年八月の時点で何とすでに対日戦の密約を交はしてゐたのである。

ハロルド・イッケスの秘密日記

さて、米国人イッケスは、その秘密日記一九四一(昭和十六)年十月十八日条に「長い間私は第二次大戦参戦への最良の道は日本を通じてのものである事を確信してゐた。(中略)そこで、言ふまでもなく、我々が日本と戦争を開始するならば、それは必然的に我々をして独逸との戦争に導く事にならう」と記してゐる。

これ、ルーズベルト大統領の内務長官、第二次大戦中は特に石油産業を統率した責任者ハロルド・イッケスの言である。日本への「石油禁輸」を断行し、日米開戦の一大要因をもたらした実行犯の彼故に、右記載は、歴史的に重大な謂はば動かぬ証拠と言はねばならぬ。

第一次大戦の経験から米国の欧州参戦を恐れた独逸は、米国の度び重なる挑発にも拘らず、泰然として動ずることが無かつた。困惑した米国にしてみれば、独逸の同盟国日本は絶好のターゲットだつたのである。

十一月二十五日の米国戦争会議

米国では一九四一(昭和十六)年十一月二十五日午後ホワイトハウスで戦争会議が開かれてゐる。陸軍長官ヘンリー・スチムソンの日記には「その会議には、ハル、ノックス、マーシャル、スターク及び私が出席した。(略)そして問題は、我々が大きな危険にさらされる事なく、最初の発砲をするやうな立場に、日本人を如何に追ひ込むかであつた」と記されている。

これ、米国側が如何にして日本から戦争を仕掛させるかを協議した、明白かつ決定的証拠資料と言へよう。当時の米国民には反戦の機運もあり、ルーズベルト自身も戦争しない事を公約に掲げて大統領となつただけに、自ら進んで日本と戦端を開く事は出来なかつた。そこで出されたのが米海軍シーボルト少将自身をして「日本の顔に籠手(こて)を投げ付けるやうな挑発であつた」と言はしめた最後通牒ハルノートであつた。

だが、日本の真珠湾奇襲は米国側の予想に反して遥かに遅く、日本からの第一発を待ち兼ねたスチムソン等は、日本奇襲の報に接し「日本が我々を攻撃したといふニュースが最初に届いた時、私の最初の感想は救はれたと云ふ思ひであつた」とその日記に記してゐる程である。

チャーチル著『第二次世界大戦』

いや、一番救はれた思ひに浸つたのは矢張チャーチルであらう。彼はその著『第二次世界大戦』の十二月八日の条で「合衆国を味方にしたことは、私にとつて最大の喜びであつた(略)今やこの時点で合衆国が完全に死に到るまで戦争に入つたのだといふことが私にはわかつた(略)満身これ感激と感動に浸り且つ満足し、ベッドに行き救はれたといふ気持ちと感謝の念で、ぐつすり眠つた」と記してゐるのである。

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マッカーサーの証言

因みに、一九五一(昭和二十六)年五月三日マッカーサー元帥は、米国上院軍事外交合同委員会に於いて「彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られての事であつた」と証言してゐる。実に日本と戦つた敵の連合国最高司令官マッカーサー元帥自身が、日本は安全保障のため即ち自存自衛のために戦つたのだと証言してゐるのである。これ程信憑性の高い証言が何処にあらうか。

以上を見るだけでも、大東亜戦争が侵略戦争ではなく、独逸対英・米の第二次大戦(欧州大戦)に巻き込まれたものである事は明白であらう。

女神の微笑み

今年は東京裁判開廷五十年の年である。これからの二年間がまさに勝負の時とならう。我等は、今度こそ勝利しなければならぬ。パール判事の云ふ正義の女神の秤りはもう既に平衡に保たれてゐるのである。いや、大東亜戦争が侵略にあらざる事も、また東京裁判が不公正なる事も、既に随分以前より明らかにされてゐる処である。

にも拘らず、なぜ謝罪決議が成され、東京裁判史観が今なほ跳梁跋扈するのか。それは一にかゝつて我々が言葉の力を用ゐなさ過ぎたからであらう。他人が一度言つた事、明らかにした史実でも、繰り返し巻き返し世に弘めて行く努力を惜しんではならぬ。前に引用した史料等も、既に以前より明らかにされてゐる事は言ふまでもない。我々は学者ではない。たとへ同じ内容であらうと、打ち返す波の如く成就するまで何度でも訴へ続けてよいのである。

歴史と云ひ伝統と云ふ。それらは言ひ継ぎ語り伝へて行かねば、須臾(しゅゆ)にして忘れられ、消え去つて仕舞ふ他ないのである。

わが日の本は古来より言霊の幸ふ国。さればこそ、揺るがざる真柱の如、言霊の力を確信して草の根的に啓蒙に努めて行かうではないか。

女神は我らに微笑んでゐる。

【大山晋吾氏、月刊『不二』(不二歌道会)平成八年四月号】(当記事は著者・大山晋吾先生より許可をいただき掲載しております)

 

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