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<2.22竹島の日>昭和34年(1959年)の朝日・天声人語 釜山抑留所「このような不当な待遇は人道上許さるべきではない」「このような非人道が世界によく知られていない。国際赤十字や国連がもっと親身になって真相をよく調べてもらいたいものである」

資料データ
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昭和34年(1959年)7月19日付け・朝日新聞朝刊・天声人語

豪雨の夜の釜山で、抑留中の日本人漁船員ら百二十三人が収容所を集団脱走してデモの手段に訴えたのは、よくよくのことである。

▼まかり間違えば流血の惨事をも招きかねない冒険をあえてしたのは、よほど腹にすえかねるものがあったからだろう。目的が“脱走”ではなく、早期送還と待遇改善を要求する平静なデモだったので、銃撃などの暴力的制圧が加えられなかったのは幸いである。みんなおとなしく連れもどされたが、それで事が終ったのではない。すでに刑期を終った人たちなのだから、釈放帰国が当然で“脱走”というのも不当なくらいだ。

▼釜山収容所の待遇は全くひどいものらしい。韓国抑留船員協議会が作った「抑留生活実態報告書」は「少しの虚構も誇張もなく記述」したものと断っているが、涙なしには読まれない。人間扱いとも思われぬ虐遇である。

▼食事も前よりいくらかよくなったが、米麦半々で一日五合、それもピンハネされて四合弱。副食はモヤシ、海草、汁、週に一度は魚、豚汁もあるが、肉とは名ばかりでほとんど入っておらず、魚もときおり腐っているという。長い間ランプ生活で、三十年暮れからようやく電灯がついた。入浴もそのころからやっとで月一回になった。暖房皆無の幾冬も過ごしてきた。李大統領や国際赤十字代表、外国通信記者が来た時だけは万事すばらしかったが、翌日からは理髪用の椅子も持ち去られ、医者も薬も消えてなくなった。

▼郷里からの小包は届かぬこともたびたびで、税関の封印は破られ中身が抜き取られているのが常だ。小包の品を売って栄養補給や医薬代にあてるのだが、大事な換金物品を盗まれることが多い。留守家族へ出す手紙の切手まではぎ取られ、その切手をまた買わされていたという。貪官汚吏にいじめぬかれているのだ。

▼このような不当な待遇は人道上許さるべきではない。そもそも抑留そのものが不当である。百四十一人はすでに刑期満了して、故国に即時送還されるのが当然である。このような非人道が世界によく知られていない。国際赤十字や国連がもっと親身になって真相をよく調べてもらいたいものである。

 

昭和34年7月29日 李ラインを行く
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