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【資料・赤い巨塔(1970年) 】③『無視できない「第二文部省」の偏向』時事問題研究所 編 179~181頁

資料データ
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無視できない「第二文部省」の偏向

高崎経済大学教授 三潴信吾(みつま・しんご)

まず第一に、日本学術会議は周知の如く、総理府管下の行政機関という公共機関であるが、「独立した立場から」政府に意見具申をする権限を保有し、行政機関としての上級機関よりの指揮命令系統に所属しない点において、数多くの行政委員会と共通した、又は類似の性格を有すると云える。

そこで、「委員会行政」の弊(へい)が世上にしばしば論じられるが、ここにおいても、それと若干趣を異にするものの、相似た問題に直面するのである。

委員会行政は、「民主主義」の名の下に戦後特に活発となり、行政委員会の数が非常に多くなった。その中にはかなり強い執行権まで持つ様な公安委員会の如きものもあり、また、ほとんど行政省庁の執行機関に肩代わりして執行意思を決定的に動かして行く観のある国語審議会の如きもあり、あるいは先般の憲法審議会の如く政府の諮問機関に止ったものもある。日本学術会議はこれらの行政委員会とは比較にならぬ程の規模と、大多数の学者を背景とする広大な地盤を有して、まかり間違えば、わが国文部行政の全体を、文部省に代って支配しかねない程のものである。

従って、この会議が、一方では文部行政に対する強力なる対立機構ともなり得るし、他方、時あっては革命勢力にとって絶好の乗取り目標ともされる。現に、日米安保問題や、国防に関する研究の問題、大学立法問題等につき、かなり政治的かつ一方的活動が顕著に見られ、その背後にある多くの有識の学者をして切歯せしめたことがある。

第二に、かかる日本学術会議を正常に公平に運営し得るためには、この会議の機関の構成が公正に行われているかどうかが問題である。日本学術会議の選挙が、最近の急速に発展しつつある諸科学の分類、研究者の組織の実情に適合しているか否かも、「あり方改革の方向」に盛られている如く、確かに常識的な問題点ではある。

しかし、この際、もう一つの重大な問題点は、神聖なるべき真理探求の学問研究の場が、革命運動の政治的謀略の場として濫用されるべく、選挙が巧みに操られ、特には不正の投票も起り得るという疑念である。

その具体的な点を一、二挙げてみる。

第一に、学術会議の選挙は所属の学術団体の構成員による投票によって行われる。ここにおいて当然、その前提となる候補の推薦があり、この推薦候補を中心として選挙が行われることになるのだが、その際、学術団体からの公認候補として推薦され、組織票をとることが確かに有利である。そこで、あの団体、この団体からそれぞれ推薦されて同じ傾向の思想の持主が数多く有利な立候補をするためには、同じ傾向の団体が数多くあることが望ましい。そのためには、戦術的に、同じ仲間の人間が、幾つもの団体をつくり、二重三重にその構成員となって入り込み同類の人々の当選を勝ち取る方法がとられている様である。従って、まず、この会議の下部機構ともいうべき学術団体、中でも特に大世帯の団体の乗取り戦が激しいものとなる。その団体の役員選挙に数々の疑問が発生している。例えば、投票数や得票数を所属会員に一切公表せず、あくまでも秘密の裡に葬ってしまうものもある。世間一般の選挙には到底考えられぬことである。又、かつて、某大学においては、学術会議の選挙に当り、各自が所定の封筒に厳封して郵送すべき投票用紙を全部、学部に預けさせ、これに応じない者は仲間からボイコットされるごとき事態もあった。

とまれ、かかる「独自の立場」の第二文部省が、学会の公認、国家からの研究費の分配その他、学者の研究の生命に関わる権限を掌握していることは、憲法上の学問の自由から云っても、国家の安全の上から云っても看過し得ない重大な問題であると思われるのである。

(「赤い巨塔」(1970年) 時事問題研究所 編 179頁~181頁より)

 

(2003年、四国新聞社 三潴信吾氏のお悔やみ記事)

三潴信吾氏死去/元高崎経済大学長、憲法学 | 四国新聞社
 三潴 信吾氏(みつま・しんご=元高崎経済大学長、憲法学)6日午後2時38分、肺炎のため東京都狛江市の病院で死去、86歳。

 

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